【発展経済】・・・潔き社会経済の活性化
いつの時代においても、人々の暮らしの豊かさへの願いはありました。
また国をつくり、支え、発展させる元である人々(国民)の暮らしを守ること、済(たす)けることが結果として為政者や君主ひいては国を発展させることにも繋がることを理解していた統治者は、昔から人々の暮らしをいかにして安定し、繁栄させられるかに苦心してきました。
経済という言葉も元を辿れば中国古典にある『経世済俗』や『経世済民』=【 世を経(おさ)め、民を済(すく)う 】が元になっています。
日本でも江戸中期にこの言葉が盛んに用いられ、近世の学問にも様々な影響を与えます。そして明治期に入り本格的な西洋思想の導入を経る中でこの語義が変遷し、本来の意味からかけ離れた『経済』という言葉が用いられるようになったのが現代です。
そして多くの為政者がこの原義を忘れ、現代の経済の意味である、
「社会生活における生産、消費や売買等の貨殖興利(お金を増やして、利益を生み出す)」
を念頭に政治を司る為、『善政を敷いて民衆を済(すく)う』という治政目的が忘れられてしまいます。
何を持ってして経済なのか、何を持ってして発展なのか・・・
地域も国家も人あってこその発展であり、人の暮らしを済(すく)うことが、政治の根本でありましょう。
全ては人を存在させること。
かつてここ日本において皇室では民衆のことを『おおみたから』と
呼んでいました。
おおみたから、それは人々があってこそ成り立つ村や町という社会基盤であり、社会によって支えられている国。
人々が豊かで安定した暮らしの総和が社会の豊かさとなり、その社会の豊かさが結果として国を豊かにする、その元となる存在である人々を「大いなる宝物」と呼ぶ言葉の感覚に、日本古来の経世観から学ぶものがあるのではないでしょうか。
おおみたからあってこそ。
経済の根本、発展の根本はそこからであるとわたしたちは強く信じています。
また、私たちは現在、物質社会から精神社会への間にいます。
今までは「かたちあるもの」をつくり出す経済活動を主にして来ましたが、これからの時代は「かたちのないもの」を大切にし心豊かにする経済活動が求められる時代となります。
義人と言うべき《義》という尊い精神のもとに、繋がりを基調として創造していくことが社会経済の発展に繋がります。