共同和合

《共同和合とは》・・・(相互協力のもと、行動を一つに)

私たち人間は、それぞれが住まう社会生活の範囲であらゆる人と関わって生きています。

人は自身を中心に、また自身が属する社会の最小単位である家族のもと、成長し、巣立ちと共にある者は新たな家族を作り、ある者は一人で生きてゆく選択肢を取ります。

そしていずれにせよ、何らかの職に就きその環境で関わる人々との交流において、様々な協力があり、その協力のもとでは、目的や目標、また願いなどに対して団結した意識が芽生えると共に、互いを尊重していくこととなります。

社会に存在する数多の協力、このひとつひとつはそれぞれの範囲で循環を生むものもあれば、停滞を作り足を引っ張り合うものもありましょう。

それらが複雑に絡み合い、形成され発展していくのが人間社会であり、その繰り返しこそが人類の歴史であり営みとなっています。
普段の日常生活において、自身を中心とした世界に意識を向けた時、その意識はどこまで広げることができるでしょうか?

自身が属する行動範囲を包含する日本社会、そして日本社会を包含する人類世界。

遠い海の向こうにある問題を、自分とは関係の無いものだと捉えるのはある意味では自然なことでありましょう。

しかし、一見自分とは関係の無い様に思える遠い海の向こうの問題も、世界規模で取り組むべき様々な問題も、このグローバル世界では否応無しにそれらの問題が自身と “切っても切れない関係” のあるものだということを突きつけられます。

それは、エネルギーや食糧を中心とした流通と輸出入、ファストファッションの背景、レアメタルと通信関連など、私たちが如何に世界規模の市場で生きていることからも明白です。

そして、そんな世界の仕組みが人類環境の悪循環を生み、母なるこの地球を疲弊させ、人類自らがその恩恵を受ける源を破壊し、自らの首を締めていっています。

そう考えると、個から集団、集団から社会、社会から国家、国家から人類という風に俯瞰する視点を上げていくと、私たちは今、争って足を引っ張り合っている状況などではないはずです。

争いという選択肢を排除し、人間の存在意義であろう和合を自身の身の周りだけで留まらせず、その想いを人類規模まで昇華させることです。

人類ひとりひとりの想い、行動が、自身にだけでは無く “自身を含めた” 人類全体に向き、人類社会の諸問題に対して同じ方向で見ることが出来た時、この共同和合は叶いましょう。

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