世界大同

世界大同】・・・人類にとっての桃源郷

人々の願い、人々の理想社会として求められてきた、いにしえの時よりある概念で、飢饉や災害また戦禍によって疲弊しきっている中で幾度も古典などに出てくる言葉です。

­その中でも、儒教の最も基本的な経典である「経書」の一つ『礼記』から大同という言葉の定義を取り上げてみると、

「大同とは、権力を独占する者がなく平等で、財貨は共有となり生活が保障され、各人が十分に才能を発揮することができ、犯罪も起こらない世の中」

とあります。

ここで思い出すのが、わたしたちの体がどの様に構成されていて、自然がどの様なものであるのか。

言うまでもなく、人間は自然の一部であり、自然界は絶えず無私にその恩恵を生物に与えてくれます。

一見すると不調和に見える自然のシステム。

しかしそれが不調和であるならば、それは自然界で人間を起因とする事象であり、自然自体は完璧なまでにそのサイクルをただただ黙々とそして粛々と、人間の思惑など全く気にせず動き続けています。

互いの存在を用い、互いの存在を無駄にせず活かし合い、互いの存在があり循環が生まれ、互いの存在意義がそこにはある。

いのちは分かち離れているものではなく、わたしのいのちもあなたのいのちも、またあの人のいのちも見知らぬ誰かのいのちもみなつながっている。

人間が自然の一部であることを思い出す時、自然の循環と発展にヒントがあるのではないでしょうか。

天は我々になにを求めているのかを知ることが大切です。

同じ人類同士がお互いに睦み合い励まし合いながら、相互の課題解決で助け合って歩んでいく姿を実現することは、本来の人類が調和した姿なのです。

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